ソウルチョンノク(鍾路区)は、今もソウルの中心で
朝鮮時代の韓国王朝の歴史を感じることもできる街です。
そして日本の植民地時代の建物などもこのチョンノク(鍾路区)に多く残されています。
今回の一人旅では、韓国の歴史に触れることが多く、観光した後に調べることがたくさんあります。
またまたソチョン(西村)のお散歩の続きです。
ピルンドン・ホン・ゴニク(洪建翊)家に行ってきました。
ホン・ゴニク(洪建翊)家屋について
ホン・ゴニク(洪建翊)家屋とは一体何だろう?
いったいこの人はだれなんだろう・・
そこで調べてみた結果です。
このホン・ゴニク(洪建翊)という人について詳しく残された記述はない・・
と書いてありました。
このホン・ゴニク(洪建翊)という人物が商人だったということのみ記述がありました。
ソウル再発見・ソウルストーリー
これは、残念ですが、ではなぜこの家がソチョンの観光地になっているのかと言うと
それは、この建物です。
敷地面積740.5㎡。
デムンチェ(母屋)・へンランチェ(使用人用の部屋)・サランチェ(男性用の部屋)
・アンチェ(女性用の部屋)・ビョルチェ(別棟)と一角門、そして石造りの井戸がある
ハノク(韓屋)が、今も残されている家が、ここホン・ゴニク(洪建翊)の家だけだということでした。
このホン・ゴニク(洪建翊)家屋ですが、調べてみると、
このホン・ゴニク(洪建翊)が住む前に
住んでいたのがイ・ハンボク(李恒福)という人で、この人は政治家であり、
詩人であり作家だったそうです。号を白砂といいます。
ネット検索していると、白砂イ・ハンボク(李恒福)と出てくることもあります。
住んでいたといっても、この家を建てたのは、ホン・ゴニク(洪建翊)で、
この同じ場所に住んでいたのがイ・ハンボク(李恒福)です。
このイ・ハンボク(李恒福)は朝鮮王朝14代ソンジェ(宣祖)の臣下として有名です。
日本は豊臣秀吉の時代で、朝鮮出兵をしている時代の人です。
このイ・ハンボク(李恒福)は、オソンとハヌムという名前で韓国の昔話にも登場しています。
韓国昔話:オソンとハヌム
こんな歴史を知ってから見学すると、また感じるものが変わってきます。
ピルンドン・ホン・ゴニク(洪建翊)情報
住所:종로구 필운대로1길 14-4,
観覧料:無料
韓国国家遺産ポータル